>>スタートアップメンバー一覧に戻る

被災、経済的困窮状態にある子どもたちの教育支援

大橋 雄介 /  Yusuke Ohashi ( 第3期 )
NPO法人アスイク  

事業概要

【ミッション】
NPO法人アスイクは、
経済的に困窮する子どもたちの問題と多様な市民や組織の力を結びつけることで、
貧困の連鎖とウェルビーイングの低下を防ぐと同時に、
経済的な状況によらずお互いが支えあう地域社会を築き、
東日本大震災からの真の復興を実現します。

【活動方針】
◆震災を契機として、従来から存在・拡大していた「子どもの貧困問題」を緩和する組織へと 発展する
◆かわいそうな子どもへ支援を与えるのではなく、「子どもたちの自走」と「支えあう社会づくり」を志向する
◆被災地から「子どもの貧困問題」を緩和するモデルを生み出し、他地域、10年後の日本の道標となる

【事業内容】
◆教育支援事業
-仮設住宅での学習サポート活動
-学習支援センター「19(ジューク) Tsutsujigaoka」での教育支援活動

◆リサーチ・ソーシャルプロモーション事業
-子どもの貧困を取り巻く現状の調査・情報発信(3・11被災地子ども白書の刊行)
-講演活動

 

事業を始めたきっかけ

率直にいえば、私が当団体を立ち上げたのは偶然の成りゆきです。

私はもともと教育に携わっていた人間でもなければ、貧困問題に取りくむ活動家でもありませんでした。震災のちょうど1年前に東京の会社から独立し、仙台に移住。ソーシャルビジネスの起業支援を手がける中で震災に遭遇しました。そのような人間が、なぜ子どもの教育支援に携わることになったのか。

キッカケは、復旧に関する会議で提供された行政からの情報です。「津波や地震によって沿岸部の学校が崩壊し、残った学校にも何十万人という避難者が押しよせている」。震災発生から2週間しか経っていない時期で、誰も正確に情報を把握できていませんでした。しかし、何ヶ月経っても学校が再開されず、避難生活を送っている子どもたちが大きなハンデを負って取り残されていく。そういった問題が、当時の私にとっては鮮明な光景として目の前に広がったのです(幸いなことに学校は4月、5月から順次再開していきましたが、文部科学省の公表によれば、ピーク時には622校が避難所となりました。実に被災3県の小学校~高校の25%、4校に1校は避難所になった計算)。

気づいたときには、知人に自分の問題意識を伝えて回りながら、教員志望の学生を避難所に派遣し、避難所の中で学習サポートを実施する計画を動かしていました。学生のボランティアを集めると同時に、避難所へのアプローチを開始。しかし、当時は食べるものすら十分ではない混乱の最中です。避難所に話をもちかけても、たらい回しにされました。あの手この手を尽くしてようやく活動の了承を得たものの、避難所生活をおくる子どもはおろか、保護者からもなかなか理解を得られない。誰にも歓迎されず、独りよがりなことをしているのではないかという強い不安に襲われました。しかし、団体立ち上げからちょうど1週間後に第1回目の活動を何とかやり遂げ、それが地元紙でも取り上げられたことによって、さまざまな協力者が現れ、この活動は一気に軌道に乗り出しました。

ひとことメッセージ

これまでの活動を通して、感じてきたこと。それは、震災が新たな経済的な困窮者を生み出しただけでなく、元からの困窮家庭を取り残している側面です。

日本には、震災前から6.3人に1人の子どもは相対的貧困状態にあった。それが、震災という有事に直面して、あぶりだされているのです。

ある種、私たちがきちんと目を向けてこなかったことが、取り残された被災者という形で表面化している。それは、元からセーフティネットが機能しているかどうかで、同じ被害があってもその影響は変わってくるということでもあります。だからこそ私たちは今回の震災を大きな教訓として受け止め、震災をキッカケとしてもともと存在、拡大していた相対的貧困状態にある子どもの問題にまで切りこんでいく必要があると思います。

幸い、被災地にはさまざまなリソースが集まりつつある状況です。社会からの関心や支援を投資と捉え、他の地域や10年後の日本に向けて還元していかなければなりません。1000年に1度といわれる震災は、1000年に1度のチャンスでもあります。

 

活動レポート

現在のところ、活動レポートはありません。

【事業カテゴリ】
3期生就職・就労支援・キャリア教育教育・こどもの健全育成

【団体名/事業名】
NPO法人アスイク

【活動地域】
宮城県

【ウェブサイト】
http://asuiku.sendai-net.com/

【ブログ】
http://report.sendai-net.com/%20asuiku2011

【プロフィール】
大学中退後、特にやることもなく、筑波大学に入学。学生時代は脚本家を目指すも、自分のために書いていることに気づき、挫折。たまたま送られてきた求人広告のコピーライター募集のDMを見て「自分の得意なことで人の役に立つことが自分の存在意義になる」と思い、期せずして社会人になる。
傍目には順調だったが、自分の志向とのギャップに苦しみ、退職。仙台の地域活性化コンサル会社に創業期メンバーとして参画し、行政の委託事業のプロマネを経験する。しかし、行政の下請けでは本当に必要な事業はつくれないと痛感。20代は勉強と資金稼ぎと腹決めし、株式会社リクルートマネジメントソリューションズにコンサルタントとして入社。大手企業に対する組織変革、組織開発のコンサルティングを手がける。
2010年3月、29歳で独立し、再度仙台へ転居。縁あって、せんだい・みやぎNPOセンターのSB部門マネジャー(業務委託)となる。

【影響を受けたもの】
東日本大震災、加藤哲夫、コンサル時代の上司・メンター・同僚、フランクル、行政の委託事業

【座右の銘】
人生に期待するのは間違っている。人生があなたに期待している。
(V.E.フランクル)

【オフの過ごし方】
オンとオフという観念がありません